
| このコラムでは、私の仕事や日常の生活の中で考えたことなどをエッセイにしています。 |
| This section is to express my thoughts through my work and everyday life. |
(Currently Japanese only, sorry!)
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<第五回>「胡坐かき」(7/31/2008) 第二次世界大戦終戦後、日本は目覚しいスピードで復興を遂げた。内戦で荒れたアフガニスタンから新聞記者が研修で日本に滞在すると聞き、そのような復興の歴史が他国でも応用される価値があるのだろうか、と考えた。 しかし、それは浅はかな推測だった。彼らは、日本に来る価値というものを「世界でも稀な単一言語、連続した歴史を持つ国」の現在を見聞することに置いていた。「日本語」というものが他言語に対して常に優位にあり、それ自体が分裂することもなかった。「日本国」としての独立性も連綿と保ち続けている。はるかな古代から、存在し、維持されてきた固有の存在。このことにアフガニスタン記者は憧れを抱いていた。経済力や科学技術の発展に強調点を置き、そこに日本という国のすばらしさを見出すような研修先が選択されていたが、彼らの目線はずれていたように思う。 では、いったい、日本という国家権力の安定、言語の統一の歴史は誇れるものなのか?戦後日本に生まれた者として、この質問にどう答えるべきなのか。通訳者は答えを探す立場にはない。しかし、戸惑いを覚えずにはいられなかった。日本語が統一されているからこそ、通訳ができる。彼らが英語を話すことができるからこそ、通訳ができる。そのからくりの上に、日々生産的生活を続ける私は、胡坐をかいているのだ。 <第四回>「ICHIBANを目指すこと」(12/13/2004) 「日本人は世界で"最高"(the best)を目指すけれど、どうして世界"初"(the first)になろうとしない?」と聞かれ、私は答えに窮した。質問を投げかけてきたのは、10年以上日本で仕事をしてきたアメリカ人のG氏だった。いい質問だった。それも直球の。 「世界初になるのがうまくないのだろうか?」とG氏。やろうと思えばできるのに、敢えてやらないようにしているのだと思う、と私はかろうじて応じた。人間は科学技術を進歩させてきた。その歴史を紐解けば、「発明」という偉業が過去を塗り替えてきたことがわかる。発明者は、世界初であることに科学者の誇りをかけてきた。 9月末にアメリカのある自然公園で、駐車場に「ICHIBAN」というナンバープレートを掲げたマツダのコンヴァティブル(convertible、オープンカー)を見かけた。そう、「一番」という日本語はアメリカで今やポピュラーな言葉になっている。G氏の投げかけた問いは、いったい何で「一番」になろうとしているか、ということなのだ。 ざっくばらんに考えて、日本人はどちらに価値を見出すだろう。「Be the first!」か? それとも「Be the best!」か? G氏と私はいろいろと考えてみた結果、どうやら日本人は行動の内容に価値を見出すよりも、最もリスクの少ない行動結果に評価を置くのではないか、という推論に至った。 「一番」になるための日本人のリスクマネージメントは、なるべく「初め」にならないように行動すること。つまり、誰かが初めに経験したあと、その結果を分析してから自分はリスクを被らないように気をつけるのである。 よく「世界初の新技術」というキャッチフレーズを耳にするが、オリジナリティということとは別のような気がする。改善を施した製品が世界で一番良いと評価されること、それが戦後日本の高度成長を支え今日に導いてきたのだ。では、世界初のオリジナリティの価値とは? 初めて空を飛んだ人間は、きっとジェット機を思いつくより、「人間が空中に浮く」という夢を初めて実現することに一生懸命だったと思う。創造力の発露は原始的で、後先を考えない。リスクが多いことに立ち向かっていく。 日本は今、いったい何で「ICHIBAN」になろうとしているのだろう。G氏の問いに、やっぱり私は明確な答が出せないままだった。 <第三回> 「ひきこもり残業」(6/30/2004) テレビニュースを見ていたらあるコメンテーター曰く「アメリカでは、いくら忙しいというお父さんでも夜7時には帰宅して家族とすごす時間をとっていますよ。日本では、忙しいお父さんは夜11時すぎに帰宅して翌朝6時には家を出てる。家族と顔を合わす時間もない」。 2002年の統計資料をもとに厚生労働省が賃金や社会保険料を含めた「労働費用」を試算した。新人一人にかかる労働費は3,127円/時だが割増率なしで残業させた労働費用は2,055円。つまり5割増しでも新人と同額ということになる。実際の割増率は25%をやや上回る程度というから企業としては残業させたほうが安上がり。結果として父親不在の家庭はこれからも増加し、5%近い失業率を低減させることは難しい実態だ。 あるサラリーマンの知人と夕食をしていての一言。「仕事が終わるでしょ。まっすぐ家に帰宅したことってめったにないね。まずいっぱい引っ掛けに居酒屋へ行く。それから用もないのに近所のコンビニへ入ってくだらない雑誌を立ち読みする。で、家族がすっかり寝静まった家に帰るというわけ。とにかくなるべく家から遠ざかっていたい。そのためにありとあらゆる迂回路を探すんですよ」 アメリカ人は夜7時過ぎに帰宅する「アンチ残業族」だというステレオタイプは間違っている。こなさなければならない仕事がある限り、彼らだって残業は辞さない。ただ、お母さんもお父さんと同じように働くアメリカでは役割分担としてお父さんが家事をこなすこともある。英語では「ファミリー・ビジネス(family business)」という言い方があって、家庭に対するコミットメント(commitment、献身)を意味する。つまりビジネスと家庭は相反するものではなく(前にも書いたように)あくまで「プライオリティ(priority)」の違いでしかない。 また、アメリカ人と仕事をしていて感じたことがある。所定時間内に仕事がこなせない能力の低い人間は「残業」をする、という見方である。いつまでもオフィスに残ってメールの処理をしていると、なぜ時間内にそれができないのか、明日の朝一番にやればいいではないかと上司に言われてしまう。定時にスパッと帰宅する先輩たちは「できる部下」なのだ。「今できることは明日でもできる」というわけで、「残業=(人件費+光熱費)の浪費=会社のためにならない」という公式ができあがる。 仕事量が能率に反比例することは日本でもアメリカでも同じだ。(無理な仕事量を押し付けられるような異常な場合は別として)仕事の能率を上げれば残業は抑えられる。ではなぜ日本のお父さんは家庭にいる時間が少ないのだろう。残業が安上がりだという企業のせい?不景気のせい?私はあの知人との会話に何らかの真理が隠されているように思う。いわば「逆ひきこもり症」、社会人は家庭人にならないための迂回路を求める癖があるのかもしれない。 <第二回> 「罪と罰とダイエット」 (5/7/2004) 2002年、米国マクドナルド社が訴えられたことをご記憶だろうか。今度はコーヒーが熱いからではない。ハンバーガーやポテトフライといった商品が「肥満」の原因を招いたとして訴えられたのだ。2004年3月、マクドナルド社はポテトフライやドリンクの「スーパーサイズ」をやめた。これからは、野菜や果物を充実した健康路線で消費者に対するイメージアップを図る。裁判の決着はまだついていない。 マクドナルド社のようなファーストフードは「ジャンクフード(junk food)」とも呼ばれる。ジャンクフードは、高カロリーで高血糖で栄養価が低いの食品群の総称。マクドナルドが訴えられた背景には、このジャンクフードにアメリカが肥満大国となった罪を着せようとするアメリカ社会の複雑な心理が働いているのである。 キリスト教的な文脈で考えれば、ジャンクフードを口にするという「罪」を犯せば、肥満という「罰」が下るということになる。肥満を克服しようとする「ダイエット」は「懺悔」のようなもの。宗教が人間の「常習性(addiction)」をコントロールしようと努力してきたように、ダイエットインストラクターはまるで聖書を抱えた神父さながら、ダイエットに成功したとなればもはや解脱者だ。実際、食品広告に「guilt-free(罪のない)」とあれば、砂糖を使っていないという意味になる。 だから、カロリーの高いハンバーグを注文する時にダイエットコーラを頼む人は、なるべく犯した罪を軽くしようという弁護人の気分なのであって、理性的にカロリー計算をしているわけではない。ここまで考えると、軽く「ダイエットしたほうがいいよ」なんてアメリカの友人に忠告することもはばかられる。ダイエットとはかなりプライベートな行為なのだ。 <第一回> 「プライオリティ、なんて厄介」 (4/1/2004) 「プライオリティ(priority)」なる言葉を聞いたことがあるとおもう。簡単に言えば「優先事項」という意味になる。私は4年間ほどアメリカで生活をしていたが、このプライオリティという考え方がアメリカ人の生活や仕事のリズムを決めているらしいと知って唸ってしまった。 日本人は優先事項の基準が「他人」にあり、特に「他人に迷惑をかけない」ように行動することが多い。だから、かなり「世間体」を気にしながら生活している。そのためには自分の時間を犠牲にしても何とかしようとする。日本の「会社人間」たちは優先事項の基準が「会社」にあるというわけだ。 これに対してアメリカ人の優先事項の基準は「自分」にあり、特に「自分に納得のいく」ように行動することが多い。だから、人それぞれ優先事項が違う。自分の行動に対する責任もはっきり自覚している。仕事を自分の納得のいくようにしたい人は、猛烈に仕事をする。家族との時間が持ちたい人は、定時で帰宅する。 人それぞれにプライオリティが違うというのはなかなか厄介だ。特に、仕事の依頼をするときに、相手にその仕事をちゃんとしてもらうには、自分の依頼を相手がプライオリティとして認識しいなければならない。更に言えば、プライオリティとして認識してもらえるように手をうっておかないと仕事をしてもらえない。後で文句を言っても、プライオリティが別にあったからという返事で済まされてしまう。 仕事の依頼にははっきり期日を設け、相手に納得の行くように内容説明を行う必要がある。忘れてしまうこともあるから、期日は決めた後でも何回か確認を行うほうが良い。頼んだだけでは決してうまくいかない。相手のプライオリティを一時的にでも自分の方に向けさせる努力が必要なのだ。 |